第五章 ダナンへ(想像と現実の段差)

第五章 ダナンへ(想像と現実の段差)

ゴーゴー、キッキッキー。

重たいまぶたを持ち上げ小窓越しに外を見る。真っ暗な景色にきらびやかな無数の灯火が並んでいた、ダナンに到着したようだ。

時計を見ると翌朝3時前、機内は深夜便ならではの疲れ切った空気でどんよりしていた。僕は手荷物を確認し、人の流れに乗って出入り口へ向かう。

出入り口で優しく微笑みながら挨拶をするキャビンアテンダント、僕は軽く頭を下げボーディングブリッジへ差し掛かった。その瞬間、ムッと東南アジア特有の重く湿気た空気に体は包まれ、ベトナムに着いた実感が湧いてきた。

ハムは待っているのか。

もし仮にハムがいなくてもタクシーでホテルに向かう心構えは出来ていた。ただ久しぶりの海外旅行、釜山のこともあってか少し疲れていた。できるならハムにいてほしい、そしてスムーズにホテルに行きたい。そう願いながら入国手続きに並んでいた。

初めて降りた空港、見慣れないベトナム語と英語の掲示板を頼りにゲートの外へ、するとあちらこちらで人の名前と思われるプラカードを持った人たちが、ベトナム語や英語で歓呼していた。深夜だというのにすごい活気だ。

僕はその人混み中、右往左往しハムを探した。すると奥の方で不安そうにしているハムの姿を見つけ、ホッとした。またハムも僕に気づき安心したのか笑顔で駆け寄り言葉を探しているようだった。そして

「アー、ツカレマシタカ」

と言いながら、僕の手荷物へそっと手を差し伸べてくれた。ありがとう、感謝の気持ちでいっぱいだ。ただ一緒にいるはずの彼女の姿が見当たらない、どうしたのか。聞いてみると待ちくたびれて先にホテルに帰り休んでいるそうだ、当然と言えば当然の話だった。

一緒にタクシーでホテルへ向かった。久しぶりの再会、また日本語に自信がないのかハムは少し照れながら

「エート、ナニカタベマスカ」

僕は少し疲れていたが初めてのベトナム、徐々に気持ちは高まっていた。この時間ではさすがにレストラン、ファーストフード店は閉まっていたが、ときどき見かける屋台から薄暗い明かりや人影が見えていた。

僕は屋台をスッと指さした。ハムは僕の気持ちを察したのか、何やらタクシードライバーと話始め屋台の前に停車した。僕はハムをしり目にタクシーを降り、今までのストレスと発散させるかのように大きく背伸びをし、ゆっくりと周りを見渡した。

ここが留学生の母国、あのベトナムか。

僕にとってベトナムは、留学生から聞いたこと、SNSで見たこと、これまですべて想像の世界だった。そして今回実際にその世界を目の当たりにした。

あの留学生たちはこんなにも遠くからきていたのか。それは日本とベトナムの物理的な距離以上に、月明かりから見える文化や歴史の距離を感じた。

僕たちは空き地に作られた屋台へ入った。屋根はビニールシート、支えはむき出しの鉄パイプ、テーブルとイスはプラスチックの簡易式。テーブルの上にはつまようじ、唐辛子、ライム、チリソースが無造作に置いてあり洒落っ気は一切ない。

僕は、鳥のフォーと缶ビールを頼んだ。待ち時間、屋台を見渡すと警察官がたむろい食事をしていた。深夜、屋台にたむろする警察官の風景を撮りたくカメラを向けた。するとノーノーと数人の警察官に拒まれた。僕の行動がやましかったのか、それともこの警察官たちはサボっていたのか、何なのか分からなかった。

まぁどうでもいいや。鼻に突き刺すパクチの匂い、冷えていない缶ビール、10分くらいで食事を済ませタクシーに戻りホテルへ向かった。

ホテルに着いたのは明け方4時前。何か新しいことに挑戦したく独立し、数えきれないほど失敗し、気づけば日本で出会った、それもたまたま出会った留学生にガイドをしてもらいながら、なけなしの金でベトナムに来ていた。

今回周りの人へはサーフトリップでダナンに行くと伝えていたものの、実際はそれほどサーフィンに拘っていたわけではない。僕が拘っていたのは、ベトナムで何か新しいビジネスに繋がる気付きやきっかけを見つけることだった。

はたしてこの3泊4日でそのような機会と出会えるのだろうか、無駄な浪費で終わるのだろうか、経験したことのない期待と不安を感じながら床についた。

朝9時ごろ、ガッガッガッと外から何やら大きな音がした。僕の部屋は3階、小窓から外を見渡すとチェックインの時には気付かなかった灰色や薄茶色の荒れ果てた景色が目の前に広がっていた。この辺一帯は建設ラッシュ地域、それもかなり大がかりな建物ばかりだった。

僕が滞在したホテルの名はCHU HOTEL。サーフポイントのミーケービーチまで徒歩1分、外観は赤茶と白の落ち着いた色調、フロントロビーは狭いもののアンティークなピアノや船の模型、壁には多数のアート、大人のリゾートを感じる仕様になっていた。

そして室内はダブルベット、エアコン、ファン、広めの浴槽、アメニティも充実しており、これで1泊3,000円弱とは申し分のないホテルだった。

朝の騒音は、朝9時過ぎまで寝ている僕にとって良い目覚まし時計となった。せっかくの旅行、2度寝をするわけにはいかない。洗顔を済ませ朝食へ、その後は部屋に戻らず波チェックでビーチへ行くことにした。

ホテルのエントランスを出るとすぐに海岸線が見えた。少し歩けばヤシの木、ビーチパラソル、ビーチハウスが徐々に見えてきた。そしてビーチに着くと砂色は白色に近いベージュ、想像してた以上のビーチリゾートだった。

今この辺一帯は建設ラッシュ。十数年後には、高層ビル、ショッピングセンター、アクティビティ施設など完成するだろう、東南アジアでトップクラスのビーチリゾートになることは間違いないと感じていた。

そしてビーチ一帯の波をチェック。残念ながら台風の影響でダブルオーバーのクローズ、誰1人サーファーはいない。日本で波情報をチェックした際そのような予報だったので想定内、早々サーフィンをあきらめ部屋に戻りハムとの待ち合わせ時間まで寝ることにした。

僕は約束の時間、ホテルのフロントでハムを待っていた。するとハムは彼女とニコニコ話しながらやってきた。彼女の名前はカン。カンは、今まで知り合ったベトナム人とは違って日本留学の経験はない。また日本人・日本語に興味があるのかもわからない。はたしてコミュニケーションは大丈夫なのか、少し不安もあった。するとカンの口から

「コンニチハ」

えっ、どういうことだ。僕は慌ててこんにちはと挨拶を返した。するとカンは照れ笑いを浮かべながらハムの背後に隠れた。実はハムがここへ来るまでの間に、カンへ日本語の挨拶を教えていたのだ。

僕はダナン行きが決まったときから到着まで、本当にハムはガイドに来るのだろうか心配していた。しかしハムはそんな僕の思いと裏腹にガイドをとても楽しみにしていたのだ。今まで考えすぎていた自分が情けなく思え、ハムの思いに失礼なことを考えていたと反省した。

ただ今まで出会ったベトナム人は、不思議なほど愛想が良い。営業や物販のような下心のある愛想なのか、それとも単に日本や日本人が好きな愛想なのか。いずれにせよ僕にとってベトナム、ベトナム人の印象はさらに良くなり、これからの時間が楽しみになっていた。

つづく。

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