第六章 ダナンへ(灯台下暗し)

第六章 ダナンへ(灯台下暗し)

ロビーでの立ち話もほどほどに、手荷物をまとめて昼食へ行くことにした。

ホテルの外へ出てみると雨季も終わりなのか、ベトナムらしい力強い日差し、重く湿気た空気、徐々にひたいから汗がにじみ出てきた。

このあたりはビーチリゾートといえまだ開発途中、ホテルの裏側にコーヒーショップが1軒と数件の屋台、繁華街らしきものは見当たらなかった。

「ソトデモ イイデスカ」

ハムは聞いてきた。僕が日本人ということもあって気を使い、洋風のカフェでも探していたのか、外とはきっと屋台のことだろう。僕はうなずき、近くの屋台へ入ることにした。すると

「オー メイ!」

あちらこちらで聞きなれないベトナム語が飛び交い、地元の人々で大賑わいだ。日本人にとって屋台は、お祭りのときに道路や広場で立ち売りする一時的な小さな店、利用しても年に数回だろう。しかし外食が中心のベトナム人にとって屋台は、日常生活に欠かせない大衆食堂的な存在、家族や友人たちの憩いの場所なのだ。

ここで少しベトナムの食文化に触れてみたい。

食事は、自炊より外食中心。主食は日本と同じ米飯、おかずは野菜、魚介類、肉類と宗教的な問題で食事制限のある人は少なく、お酒を楽しむ人も多い。

代表的な食べ物は麺類のフォー。高級ホテル、レストラン、屋台などいたるところで食べられる。米の麺を牛骨や鳥がらスープに入れ、ハーブ類(パクチ、シソなど)と生野菜(もやし、ニンジンなど)の具材を載せるのが典型的。

味は地域によって異なり、北部(ハノイ)は塩ベースで具材少なめのさっぱり系、南部(ホーチミン)は甘みと具材多めのコッテリ系、各自お好みでテーブルにあるライムのしぼり汁や唐辛子を加え、食べる。

見た目は日本のうどんやきしめんに似ている。食べ方はフォーに限らず箸やスプーンを卓上の紙でふいてから使う。これは日本人が衛生面に細かいというわけではなく、現地のベトナム人も同じようにする。

食文化の違いは、日本人はうどんやきしめんのスープを飲むとき、どんぶりに直接口をつけて飲む習慣があるが、ベトナムでは失礼な行為になる。そのためスープを飲むときは必ずスプーンを使う。

また軽食ではバイミーが有名。朝、昼食時になるとあちらこちらに一畳くらいの小さなバイミー専門の屋台が現れる。

内容はフランスパンに切り込みを入れ、サラミやハム類、そして野菜を入れたサンドウィッチ。パンの表面を軽く焼いたものが多く、外はカリッと中は柔らかく食べやすい。フランスパンの理由は、ベトナムは昔フランスの植民地だったからじゃないかなと思う。

その他に屋台で多く食べられるものは、つけ麺のブンチャー。肉の香ばしさ、スープの酸味がたまらなく美味しい、僕一押しのベトナムフード。

あと鍋も多い。種類は鶏、牛、海鮮、日本とほぼ同じ。ただ日本で考えられないのはその内容、例えば鶏の場合は一羽、半身が丸ごと入っておりトサカや手はそのまま、かなりグロテスクだ。薄暗い中で食べるときは何を掴んでいるのかわからない、これぞ闇鍋だ。

話しは本論に戻る。この日の昼食、僕はブンチャーとビールをいただきながら午後の予定を話し合い、世界遺産のホイアンへ行くことにした。

ホイアンとは、ダナン市より南へ30㎞ほどにある古い港町。1999年に「ホイアンの古い町並み」として世界文化遺産に登録されている。特徴は、歴史的建造物が並ぶノスタルジックな街並み、夜になると色鮮やかなランタンの灯、ベトナムで最もロマンティックな郷愁を誘う旧市街地と言われている。

僕たちはホイアンまでタクシーで行くことにした。片道は40分前後、まずは片側2,3車線の幅広い道路を走り、ホイアンへ近づくにつれ一般道へ入る。一般道の広い歩道には、歩行者をさえぎるように屋台があり、地元の人々が暑さしのぎに利用していた。

さらにホイアンへ近づく、するとダナンでは見かけなかったランタン売りの出店、観光客向けの洋風なホテルやカフェ、英語の看板や国旗を見かけるようになり、いよいよ世界遺産の観光地へ近づいた実感が湧いてきた。そしてタクシーは角を曲がった。

するとそこには今までの道のりにはなかった無数の黄色を基調とした歴史的建造物、港町らしいきらびやかな湖面や川面、そこを往来する屋形船。ここがホイアン、美しい旧市街地だ。

僕たちはタクシーを降りて、橋の脇にある屋台でバイミーを買い、食べながら川沿いを歩くことにした。着いたのは14時頃、まだ日の差し込む時間帯で残念ながらランタンの光が照らすナイトマーケットやトゥボン川の灯篭流しを見ることはできない。

ただ今日は幸い風もない晴天。鏡のように川面に映る歴史的建造物が、まるで逆さ富士のように上下反転した形で映り込み、実物以上の存在感を描く。多くの観光客がその美しい風景写真をカメラに収めていた。

次に来遠橋、別名日本橋へ行くことにした。この橋はホイアンのランドマーク的存在。ホイアンは16世紀半ば外港として日本・中国・ポルトガル・オランダとの貿易で栄えた街、当時は300人以上の日本人がここに住んでいたと伝えられている。そしてこの来遠橋は、日本人街(東)と中国人街(西)を結ぶ橋として日本人が架けた橋。

この橋は、全体的に赤色を基調としたデザイン。細かな部分では屋根は瓦、歩道や柱は木造、橋脚はレンガ。全体的に色が薄れ、コケも生え、黒光りしているところに歴史を感じる。当時ここで日本人がどのように生活をしていたのか、僕の好奇心をかき立ててくれた。

その他ではいくつかの有名な通りを回りながら、カフェでお茶したり、出店でお土産を買ったり、ストレスなく観光を楽しんでいた。そして僕は、ふと思う。

ハム、いいな。

ハムの日本語はあまり上手ではない。しかし僕にベトナムを楽しんでもらいたい、ベトナム人を知ってもらいたい、そのためにどうしたら良いのか、僕目線で一生懸命考え動いてくれている。

今回僕はベトナムへビジネスのきっかけを探しにきた。もしかしたらハムとの出会いがそのビジネスのきっかけかもしれない、そう思えた。

その日の夜、僕たちはシーフード鍋を食べに行った。僕はハムをビジネスパートナーとして考えて良いのか悪いのか、まずは1人のベトナム人として人柄、仕事の考え方、家族構成など個人的なことを聞き、その後にベトナム人の給料、働き方などの一般的なことを聞いた。

そして分かったことは、地域格差はあるもののベトナム人の給料は4,5万円あれば十分、他人はあまり信用できないので家族や親族経営で仕事をすることが多いそうだ。

ハムに質問した。

「もし、僕がベトナムで仕事したいといったら一緒にしますか」

「ハイ、シタイデス、ニホント シゴトシタイデス」

ハムと出会ってまだ短い期間だが、彼の人柄、行動力の良さは感じていた。完全にハムを信頼したわけではないが、ビジネスパートナーに選んでも問題はないだろう。この日の夜は、この出会い、僕の感は間違いなかったと祈りを込めて、明け方までくだらないことを話しながら3人で飲み明かしていた。

次の日、ツアーでバナヒルズと呼ばれる中世ヨーロッパの街並みを再現したテーマパークへ行くことにした。ハムの彼女カンが行きたかったのだと思う、ツアーバスの予約済みだったからだ。

ツアーバスの中、僕が日本人だと気づいたベトナム人が日本語で話しかけてきた。そしてバナヒルズでも別のベトナム人が同様に話かけてきた。学校なのか、会社なのか、日本語を学んでいるベトナム人が多い。きっと日本への憧れがそうさせたのだろう。

僕は日本で万年風下零細企業の経営者、しかしこのベトナムでは単なる日本人というだけで、風上に立って仕事が出来るかもしれない。今までグローバルビジネスというと資本力のある大手企業だけのマーケットだと思えたが、ニッチ市場ならそんなこともなさそうだし、逆に小回りの利く零細企業の方が良いかもしれない。ベトナムへの期待が徐々に膨らんできた。

そしてそんなことを考えながらバナヒルズ観光を終え、翌日の帰国を迎えた。僕はハムとカンに別れを告げ、ダナン国際空港のチェックイン、保安検査、イミグレーションを済ませ、出国ゲートの待合室にいる。

今回ダナンへのサーフトリップという名のビジネスのきっかけ探し。とても短い期間だったが、ビジネスの可能性を感じた期間だった。その理由は大きく2つ、1つ目は国の経済的な格差、ビジネスの基本は、サービスや商品を安く仕入れ、付加価値を付け高く売ること。そう考えるとこの格差は魅力的だ。2つ目はジャパンブランドの健在、僕のような万年零細企業の経営者が単なる日本人というだけでベトナムでは風上に立ちやすい。

当然、資格、税金、管理など言い出せばきりがないくらい課題はある。ただビジネスモデルを作る上で大切な2つを手に入れやすいことはとても魅力的な市場だと思えた。

あとは僕が日本でマーケティングして、どのようにビジネスモデルを作り込むのか、そのあたりを数ヵ月かけて考えることにした。

つづく。

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