第七章 留学生の故郷へ。

ダナンでハムと出会い、僕はベトナム人留学生の見方が少し変わっていた。それは多くの留学生に学生という甘えは一切ないことだった。

その理由は、私費留学の場合、留学資金の大半を親がわざわざ銀行から借り入れし子供を留学させていたからだ。そしてその借り入れした留学資金は、最終的には子供たちが日本留学した際にアルバイトで稼ぎ返済する計画だった。

学生のアルバイトで数百万円もする留学資金を数年かけて返済する。確かにベトナムで終日一生懸命働くよりも、日本で数時間アルバイトした方が効率良く稼げるだろう。

ただ留学生と言えばまだ10代後半が多いと思う。親元を離れ異国の地でプレッシャーを感じながら過ごす日常は、日本人の一般的な首都圏への進学や留学とはわけが違うように思えた。

今思い返せば、僕の会社でアルバイトしてた留学生も、最近2ヶ月分まとめて学費を払ってお金がない!と言いながら頑張っていたことを思い出した。

僕も第二章「社会からの脱獄」で書いた通り、20代前半はアメリカでアルバイトをしながらスポーツ留学していた。その頃の僕と留学生たちの年代も近い、自分の昔を見ているように思え、応援したい気持ちになっていた。

ちょうどその頃、不動産賃貸仲介業界は繁忙期を迎えた。留学生の多くも日本語学校を卒業し、大学や専門学校へ進学するために部屋探しをしていた。

するとそれまで僕が行っていた「留学の国、ジパング」「ダナン旅行」もあってか、僕のお店は多くの留学生で賑わっていた。

僕が今まで行っていたことで一定の成果を得られたことは嬉しかった。ただ儲かる儲からないで考えれば儲からない仕事だなとも感じていたのが本音だった。

その理由は、先ほどお話しした通り留学生はアルバイトで稼いだお金のほとんどを学費や留学資金の返済に充てていた。そのため家賃の平均は2万円前半が限界。

そして僕のお店を利用される日本人の家賃の平均は6万円前半、仕事の内容自体に変わりはない。そう考えると労働に見合った収益ではなかった。

僕の会社は不動産屋さん、このまま留学関係の仕事を続けて本当にビジネスになるのか、心揺らいでいたのだが、一部の留学生より評価をいただけている実感は確かにあった。もう少し自分を信じて頑張ることにした。

繁忙期の忙しい日々もあと2週間くらいで終わろうとしていた。すると気がつけば留学生関連の人脈、とりわけベトナム人留学生の人脈はとても増えていた。

一つで言えばFacebookベトナム人の友達の数は繁忙期前までは300人程度だったものが、繁忙期後には500人程度まで増えていた。

ここまで人脈ができたならもっと深く留学生について調べたい、好奇心が沸いていた。例えばどんなところで生まれ育ち、なぜ日本留学を選んだのか、そしてなぜ留学先は浜松だったのか。

そうだ、繁忙期を終えたらクエムとシウの故郷、タイビンへ旅行に行ってみよう。そうすれば何か新しい気付きやビジネスの機会を作れるかもしれない、僕はすぐにクエムに連絡し食事に誘った。すると彼女は

「エッ!? タイビンニイキタイデスカ、トテモイナカデスヨ、オトウサン ダイジョウブデスカ?」

と僕を相変わらず変わり者だなと思っていたのだろう、笑っていた。僕は笑顔で

「えっ、大丈夫だよ。タイビンから多くの留学生が浜松にきているし、ぜひ見てみたい、知りたいから」

と答えタイビンはどんな町なのか、場所や暮らしについて教えてもらった。

あとクエムもそうだったが知り合った留学生の多くは僕のことを「お父さん」と呼んでいた。きっと日本でお世話になっている人をそのように呼ぶよう、誰かに教えられたのだろう。

確かに僕自身留学生からお父さんと呼ばれると親近感が湧くし、何かしてあげたい気持ちになっていた、教育センスは抜群だと思えた。

数日後クエムから連絡があり、出身校の静岡マイオアン日本語学校の理事長とお会いできることになった。理事長は、60代半ばの男性、一流企業を早期退職して日越留学市場の懸け橋に力を注ぐ、留学生の父のような存在だった。

実は僕、理事長とはすでにFacebookで繋がっており、何度かメッセンジャーでは会話をしたことがあった。ただ今回のように実際にお会いすることは初めて。経歴や表面的なことではなく、どのような人柄でどのようなことを目指して活動しているのかとても楽しみだった。

数日後、僕は理事長とお会いし今までの経緯を伝えた。すると理事長は僕の活動を大変喜んでいただき、現地の静岡マイオアン日本語学校へ連絡し、僕のタイビン旅行にガイドをつけるよう指示してくれた。

そして行先は僕の希望通り、静岡マイオアン日本語学校、地元の高校、クエムとシウの実家、ベトナムの一般的な暮らしを体験できるよう手配してくれた。

前回のダナンは全体的に観光地巡り。ベトナム初心者の僕にとっては良かったのだが、刺激と言った面では物足りなさを感じていた。

しかし今回のタイビン旅行は、ベトナムの日常を見て感じて体験できそうだ。この旅行を終えれば今まで以上にベトナムの文化や留学生市場について詳しくなるだろう。世界へ挑戦したいと願っていた僕にとっては、とても楽しみな機会となった。

また僕がタイビンへ行くことをクエムも妹のシウもとても喜んでくれた。きっと彼女たちの故郷へ1人の日本人がこれから旅行しようとしている。

このことは僕が彼女たちをリスペクトしたと思ってくれたのかもしれない。確かに僕は彼女たちをリスペクトしていたし、喜んでくれたことに僕もとても嬉しかった。

繁忙期も終わり2017年4月17日、いよいよベトナムタイビンへ出発だ。

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