第八章 これはフェアー、アンフェアーなのか

第八章 これはフェアー、アンフェアーなのか
2017年4月、慌ただしい繁忙期も終わり留学生の故郷ベトナムタイビンへ行く準備をしていた。繁忙期で稼いだお金で新しい事業に使えるのは50万円程度、僕はその50万円でどうにか東南アジアへ進出したかった。ただこの程度のお金で現地に行けるのは3回が限界だった。この3回でビジネスモデルを作り、さらにプロトタイプを完成させなくてはならない。また繁忙期が終わっても賃貸ショップを通常通り営業しなければ生活費も稼げない。期待と不安が入り交じっていた。

ではなぜそこまでしても東南アジアへ進出したかったのか。それは単に「お金がない」からだ。

前の章でお話しした通り、僕は会社を立ち上げた初年度に1,500万円程度の負債を抱えてしまった。だから経済格差のある東南アジアへ進出し、ビジネスの基本「商品やサービスを安く仕入れ、付加価値を付けて高く売る」仕組を作りたかった。それさえ出来れば、何らかの顕在化市場に4、5番手で入ったとしても逆転できると考えていた。勝負の時だった。

そして今回は準備できた50万円のうち15万円を使って、ベトナムへ2回目のマーケティングに行くことにした。出国当日、前回同様コストを抑えるために中部国際空港へバスで行くことにした。車内にはビジネスパーソンらしき人が数人、僕も数年後にはこうなっていたいと願った。

中部国際空港、ノイバイ国際空港(ハノイ)行きのチェックインカウンターは、ビジネスパーソン、ベトナム人でひと際混んでおり日越ブームを感じた。その中でも目に付いたのが多くのベトナム人(留学生なのか定かではない)が段ボールにガムテープを何重にも巻き付け荷物を預けていた。さすがにこの量は母国の家族や友人へのお土産というよりは、帰省を活かして副業でバイヤーでもしているのだろう。

ノイバイ国際空港に着いたのは午後14時ごろ、時差は2時間、昼の移動で時差は感じなかった。ただ出国ゲートをでるやいなや東南アジアならではの重く湿気た空気がすぐ体にまとわりつき、東南アジアに来た実感が湧いてきた。

今回のベトナムは、日本語学校理事長のご協力もありタイビンの日本語学校からベテラン先生のタンさんが迎えに来てくれた。ベテラン先生なだけに日本語は完璧、現地で言葉に困ることはないだろう。

タンさんと軽く挨拶を交わし車でタイビンへ向かった。距離にして110㎞、日本なら2時間くらいの距離だが交通状況では3時間以上かかるそうだ。初めて走るベトナムの首都の一般道、信号機が変わるやいなや30、40台のバイクが一斉に走り出す。中には子供を3、4人乗せて普通に走り出すありさま、これはフェアー、アンフェアーなのか分からないが日本では見たことのない光景だ。

そして高速道路へ入った。ここまでくるとバイクの交通量も減り一安心と思いきや、次は大型ダンプカーがあちらこちらで砂ぼこりを巻き上げながら猛スピードで走っている。どの走行車を見てもかなり砂ぼこりをかぶっていた。思い返せばバイクドライバーは皆さんマスクをしていたが、その理由は交通上の衛生面がかなり悪いからだろう。

またやたらとクラクションを鳴らす。あとでその理由を聞くと交通ルールではないが、前の車両を追い越すときにクラクションを鳴らすのがエチケットのようだ。慣れないうちは何かあったのではないかと心が落ち着かなかった。前回のダナンはリゾート地だったせいかあまり感じなかったが、さすがベトナムの首都、交通量や質に関してはものすごいものがあった。ハチャメチャ交通大国だ。

そしてタイビンに近づくとタンさんより

「コンバンノ ゴハンハ トモダチノ イエデ イッショニ タベマセンカ?」

と誘ってくれた。僕は断る理由もなかったしベトナムの日常を体験したかったので喜んで行くことにした。その後高速道路を降りてタイビンの工業地帯を横目に小道を走り3時間弱、タンさんの友人である家具販売会社の社長宅に到着した。

ここは工業団地の一角、正直言ってキレイな町並みとは言えない、野良犬も多い。ほとんどの家が平屋か二階建て、ただその中でもタンさんの友人宅はいかにも経営者の家らしい大きな門構え、派手な色調、立派な三階建ての家だった。

家族構成は、ご夫婦、お子さん2人、祖父母の6人暮らし。ひと昔前の日本の大家族、僕の子供の頃と似ていてどこか懐かしい。また家の建て方は、玄関兼土間が10帖くらいありそこをバイク置き場や物置にしていた。そしてその土間に段差を付けた踊り場に靴を脱ぎ居間へ上がる。このような玄関兼土間の建て方は、バイクの多いベトナムではスタンダードだった。

居間には、テレビ、テーブルなどのリビングセット、壁には風景画、ご家族の写真がキレイに飾られている。また日本では見かけなくなった日めくりカレンダーがあるのには驚いた。そしてテレビではお子さんがYouTubeを見ていた。昭和と令和の生活感が一室に混在し何だか不思議な感じがした。

僕は居間に上がりご主人さんの話を聞くことにした。すると今晩の食事に誘ってくれた理由は将来お嬢さんを日本留学させたいそうだ。そのため僕に日本の暮らし、とりわけ留学生はどんな暮らしをしているのか教えてほしいとのことだった。

僕は知っている範囲で15分ほど話をしているうちに夕食の準備ができた。すると居間の空いているスペースにゴザを敷き、真ん中にビール、キュウリ、白菜、肉類など大皿に盛り付け、皆さんでそれを囲む。そして食べ方は、各自食べたいものを手に取り、好みでライム汁、塩、ラー油で味付けし食べる。ベトナムの家庭料理、ベトナム人にとっては日常だが僕にとっては非日常だ。夕食一つをとっても初日からベトナムの日常に触れることができラッキーだった。帰り際、

「ツギ タイビンニ クルトキハ ワタシノイエニ ホームステイ スレバヨイ タノシミニ マッテイルヨ」

と声をかけてくれた。ベトナム人にとって日本、日本人の印象がとても良いとあらためて実感した。僕はまたタンさんの送迎でホテルへ向かった。明日はいよいよ日本語学校や地元の高校訪問、そして田舎町を探索するなど予定がギッシリ、とても楽しみだ。

つづく。

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