
皆さんこんにちは、Kozoです。まずは自己紹介です。
僕は1974年生まれ、静岡県湖西市出身(岡崎小学校・湖西中学校・浜松南高校)、1993年に日体大を卒業、その後アメリカのプロビーチバレーツアー(AVP)への参戦を夢み単身渡米、AVPの地方予選、カリフォルニア州のローカル大会(CBVA)、国内ではPVAの大会を中心に3シーズン参戦していました(当時のAVPは予選に勝てばアメリカ人以外でも参戦できましたが僕は予選に勝てず本戦に出場できませんでした 涙)。
僕とビーチバレーとの出会いは高校2年生の時、当時チームメートのS君と一緒に青春18きっぷを買い夜行列車に乗って神奈川県藤沢市で行われているビーチバレージャパンを見に行った時でした。当時は旅を楽しみながら軽い気持ちで大会を見に行ったので具体的な記憶はありませんがただ観客がとても多かったことは印象に残っています。
そして数年後、大学の先輩より週末平塚でビーチバレーの大会があることを聞き同期のY君を誘って大会に参加し僕は大きな衝撃を受けました。
その時1回戦の相手は真っ黒に焼けている背丈の低いローカルプレイヤー、スパイクをバシッと打てる感じではありませんでした。当時の僕は日体大のメンバー12人に入っていたため(レシーバーですが)人並み以上にはインドアバレーの練習をしていたため楽勝だと思っていましたが実際はそのローカルプレーヤーに惨敗、かなりショックを受けました。
数日後、「あれ、もしかしたら僕でもしっかり練習すればビーチバレージャパンに出て全日本の選手に勝てるかもしれないな、、練習してみよう」と考えそこから空いている時間は平塚に行き練習する日々が始まりました。
当時の平塚は日本代表チームのホーム、一流選手のプレーを近くで見れたり一緒に練習もできたり僕にとって刺激的な日々を過ごしていました(当時はアトランタオリンピックの公開競技としてビーチバレーが選ばれた時期、瀬戸山氏、高尾氏が日本代表として出場しました)。
僕は大学卒業の時期を迎えました。将来はビーチバレーを通じて何か新しいことに取り組めたら良いなと考え平塚へ引っ越しバイトをしながら練習する日々を過ごしていたところ転機が訪れました。
それは前年にアトランタオリンピックに出場した瀬戸山氏より「ビーチバレー頑張りたいならアメリカへ行ったらどうだ。その気があるなら紹介するよ」と声をかけていただき1ヵ月後にはバイトで貯めた10万円とオープンチケット(帰り便の指定はない)を買って渡米を決意しました。
現地での生活は、週3,4日レストランの手伝いをしながらサンタモニカのビーチで練習し週末はAVP予選やCBVAの大会に参加、休みの日は現地の方々と食事やメジャーリーグ観戦に行きビーチバレーを楽しむこと以外にもアメリカの異文化に触れることや良き人脈を作ることができ僕にとってかけがえのない3シーズンを過ごすことができました。それが僕のビーチバレーをしていたときのキャリアです。
そして今回ビーチバレーHow to版コンテンツを作成するきかっけは、地元の高校より1日ビーチバレーの指導のお話をいただき久しぶりにビーチバレーを体験しまたビーチバレーを始めたいなと思った、それと僕が昔アメリカで学んだビーチバレーの基本プレーや考え方を当時の写真を取り入れながら説明することによって中学生・高校生の皆さんがビーチバレーを通じて異文化に興味を持つ(グローバル化、多様性について考える)きっかけになったらうれしいなと思ったことでした。ビーチバレーを始めよう以外のコンテンツもぜひご覧ください。
追伸:2023年5月7日、旧ノマドウェブマガジン、ノマドクルーザーからの移行記事です。
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