第十二章 デモンストレーション

 ハムが日本に来た。半年前にダナンで会ってからの再会。表情や言葉の端々に覇気がありこのビジネスへの意気込みを感じた。

当時僕のお店に女性のベトナム人留学生2人アルバイトで働いていた。一足先に彼女たちへ間取り図の作り方を教えていたため、僕の日本語で伝わらない部分は彼女たちに通訳をお願いした。

そして研修は事務員とアルバイトの協力もあって順調に進み、夜は僕と居酒屋で飲み食いしながら将来の夢を語り合い10日間ほどの物件確認とソフト操作方法の研修第一フェーズを終了した。

僕はハムの前回のダナンガイド、今回の研修を目の当たりにし徐々にハムへの信頼は増し、帰国前日に家電量販店でハムがベトナムで使うための新品のパソコン15万円相当を買い、帰国日当日にはこの仕事に専念出来るよう2ヵ月分の生活費6万円を渡した。

僕の心の片隅では、このあとハムと連絡が取れなくなりパソコンの回収が出来なくなる、生活費6万円が無駄になる可能性を感じていた。しかしベトナムへ挑戦するなら多少のリスクはある、ここが勝負時だと覚悟を決め実行した。そしてハムは

「コノシゴト ガンバリマス アリガトウゴザイマシタ」

と言い残し、大きな荷物を背負い夜行バスで兄のいる東京へ向かった。

そして帰国予定日、ハムからの連絡が一向にない。このままパソコンや生活費を持って逃げられたのか、僕は時おり不安になった。しかし目先のお金よりも将来への期待の方が大きかったので大丈夫だろうと前向きに考えることにした。

そして翌朝ハムから連絡があった。なんだか帰国前夜は兄と夜どおし東京で遊び帰国した日は一日中寝ていたそうだ。とりあえず連絡がとれ一安心だった。

この日からオンラインを通じて間取り図作成指導、受発注などの研修第二フェーズ20日間を開始した。僕はこのとき世界のデジタル環境の成長や凄さを実体験し衝撃を受けた。

理由は日本とベトナムのビデオ通話、インターネットトーク、データー送信どれをとっても快適に使え、そして無料。僕が20年前カリフォルニアを旅していたときの日本とのコミュニケーションは、カメラで風景を撮影、フォトショップの現像で数日、そして郵便局へ行き数日かけて送っていた。それと比べると、とても便利な世の中になったと思う。

そして予定通りに研修第二フェーズを終了。ついに間取り図作成、受発注、品質確認、単価、送金方法など一連のビジネスモデルが完成した。

僕は早速元同僚が代表を務める会社へ連絡、無料で間取り図を作るので感想を聞かせてほしいとお願いした。後日発注をいただき実際にベトナムで作成、国内で品質確認、納品、感想を待つことにした。

そして数日後感想をいただいた。感想はこうだ。

「1枚15分あれば作れる、外注はしない」

「もしも外注するなら50円くらいかな」

「間取り図を外注する会社なんてありますか?」

僕はこのサービスそのものを真っ向から否定され、とても悔しかった。

しかしこれが現実、素直に受け止めるしかない。ただその中でも肝心な品質について問題はなさそうで安心した。そもそもこのサービスは将来この業界は人手不足になるだろう、社会のみなし残業も厳しくなるだろう。そうなれば作業の一部を外注せざるを得ない、間取り図作成の外注が始まるだろうと思い立ち上げたサービスなので現時点では致し方無いとも思えた。

その後も研修を続けハムの作図能力、オンラインコミュニケーション、受発注方法、品質確認、送金などの仕組みはレベルアップし、多面的にサービスを開始できるレベルまで成長した。

そして僕は満を持して、本部へベトナムで面白いビジネスを立ち上げたのでぜひ見ていただきたいと連絡、日程の調整をお願いした。

本部でのプレゼン当日。社長を初め幹部の皆さんにもお集まりいただき僕は間取り作成代行サービスのプレゼンを15分程度、最後に今からここで実際にベトナムへ間取り図を発注、作成、納品、欠品確認をするデモンストレーションをしたいと伝え、了解をいただいた。

僕は本部の方に作成してほしい間取り図を数枚用意していただき、その間取り図をオンラインでベトナムへ発注、そしてインターネットトークでハムに指示をした。

数分後、完成した間取り図が僕の手元に届き、僕が品質確認、そして納品完了、所要時間は10分ほどだった。社長を初め幹部の皆さんは笑みを浮かべて

「今、ベトナムで作ったのか」

「こんな簡単にベトナムと受発注できるのか」

「日本語でも大丈夫そうだな」

と驚いた様子だった。そして本部で出た結論は、間取り図を海外で作成しても納品前に国内で品質確認するなら国内で作成したものと変わらない問題はないだろう、だった。

最後に社長より

「繁忙期前までにこのサービスを導入したいから12月までに準備してよ。あと単価は安くな」

間取り図作成代行サービスのプレゼンは成功したのだ。

僕が海外に挑戦したい一心で外国人留学生に声をかけ、無我夢中で立ち上げたサービスを社会が受け入れてくれた。確かに別の部分で大きな取引がある会社ではあったが顕在化された市場ではどこよりも安く品質に自信があった。近いうちに新規顧客の拡大も出来るだろう。そう思うと目頭が熱くなり歓喜の域に達した。そして僕は起業家として大切なことに気づかされた。

それはサービスとは、そのサービスで顧客の課題がどれだけ具体的に改善できるのか、できないのかを明確にする。そしてその課題が深ければ深いほどビジネスになることだ。逆にいくら自分が得意とすることが優れていても顧客の課題解決に繋がらなければビジネスにならないこともハッキリした。

翌日、当初1ヵ月で数百枚単位での受注予定だったものが急遽3カ月以内に1ヵ月で数千枚単位の受注予定となった、うれしい悲鳴だ。早急にプロダクトの再事業計画を考える必要があった。人工で考えるならばハム以外にあと5,6人は必要だ。前回同様にSNSを利用し素人の元外国人留学生を求人し教育していては間に合わない、この機会を絶対に逃したくない。

その結果、当初は元外国人留学生向けの労働支援で作った事業だったが、急遽ベトナムの設計会社を探すことにした。そしてベトナムの企業に詳しい知人へ相談すると予想外にその知人が出資しているベトナムのネット関連の会社で、この仕事を受けたいとオファーをいただいたのだ。

設計会社ではなくネット関連の会社。少し不安だったがこの仕事自体難しくない、実際にハムも素人だったが2ヵ月で覚えた。またこの会社の経営陣の大半は元外国人留学生で日本語も大丈夫とのこと。知人も自信ありそうだったのでこの会社に依頼することにした。

当時の事業資金はあと25万円程度。今回のベトナム開拓で15万円を使ってもあと10万円は残る。その残りで中古パソコンと作成ソフトの追加購入も出来る、予定通りだ。

起業して今日まで本当の意味で前向きになれた日は一日も無かったが、このとき僕の中で時流が変わった気がした。この千載一遇のチャンスを絶対に掴む、そんな思いですぐチケットを購入し、ベトナム(ハノイ)へ向かった。

つづく。

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