第十三章 彷彿(ほうふつ)

2017年8月7日、早朝のフライトでノイバイ国際空港へ向かった。

これで3回目のベトナム、そして今回は夢にまで見たグローバルビジネス、厳密にいえばまだビジネスになっていないがその準備、可能性を実感していた。

僕は長蛇の入国手続きを終え、足早に出口へ向かった。エスカレーターを降りると徐々に東南アジアらしい、食べ物なのか、植物なのか分からない特有の匂い、空港の外ではプラカードを持った数えきれないほどの案内人が入国する私たちに勢いよく声を掛けてきた。いったい誰が僕の案内人なのか。人混みをかき分け名前を探した。

ちなみに今回の案内人は半年後に日本留学を控えている学生。日本へ行く前に日本人とコミュニケーションしたいと志願したそうだ。

今日が初対面。きっと日本語はあいさつ程度だろう、そして僕はベトナム語を話せない。言語力が弱いほど他者への想像力が試される。日本にいる当たり前が当たり前でないから旅は楽しい。気持ちは高ぶっていた。

あたりを見まわすこと5分、僕の名前の書いてあるプラカードを見つけた。僕は近づき声を掛ける。すると少し照れた様子で

イシダサンデスカ

(はい、石田です)

二人の学生はホッとしたのか満面の笑みを浮かべた。また僕のバックパックに手を差し伸べ、お疲れでしょ、運びますよ。と言わんばかりの気づかい。大金を払ってでも憧れの日本に留学したい、彼らにとって日本人は特別の存在なのかもしれない。言葉は分からなくても表情や行動で気持ちは十分伝わってきた。

僕は学生たちと一緒にタクシーへ乗りホテルへ向かった。

ワタシノナマエハ〇〇、ネンレイハ〇

車内ではお互い自己紹介。単純な会話だったが日本語を学ぶ彼らにとって日本語で会話できたときの嬉しさは、格別なのだろうと感じた。

車で走ること40分、ハノイの市街地に到着した。今回のホテル、首都ハノイのこともあり治安が心配で日本のビジネスホテルと同じくらいの金額にした。

ドアマン、フロント、客室どれをとっても素晴らしい。また朝食は、洋食、ベトナム料理、そして和食もあるビュッフェ、またテーブルから観光地らしい池を眺めることもできた。ビジネスも始まっていないのにこんな立派なホテルを予約していたとは資金を考え、後悔した。

僕は到着してすぐシャワーを浴び、学生たちと一緒に観光へ出かけた。8月のハノイ、出国時の日本も暑かったが、それ以上に東南アジア特有のまとわりつくような暑さ。また移動日でもあり体にこたえていた。

ただ不思議なことにベトナム人はこの暑い中、長袖、長ズボン、そしてマスクもしている。熱中症は大丈夫なのか、一部ならまだしも大半がそうだった。あとで話を聞けば日焼けやホコリ対策らしいがさすがに度が過ぎるのではと感じた。

観光は、ホアンキエム湖、ホーチミン廟、旧市街地など。そろそろ夕食と思うタイミングで金パツの学生が合流、夕食をどこで食べるのか学生たちで話し合っていた。その様子を見ていると何だか意見が分かれ最終的に金パツの学生が押し切ったお店へ行くことにした。

そのお店は薄暗い裏路地に有り、テーブルの下には残飯や空きビン、鳥のトサカの入った料理、怒っているのか話をしているのか分からないかん高い声の地元民でごった返ししていた。

いつもの僕ならこの程度は大丈夫、むしろ異国を感じて嬉しい。しかし今日は移動日で暑さもあってか疲れや眠気を感じていた。せっかくのお誘いで申し訳ないがゆっくりできるお店にしたかった。

実はこのお店はその金パツの学生が気に入っている日本語学校の女子生徒の実家。どうやら日本人を連れて来たことをアピールしたかったようだ。

反対していた学生は僕を察したのか。

イシダサン イキマショウ

15分ほどで店を後にした。その後学生に身をゆだねあたりを探索、すると徐々に街並みは明るくなり観光客、客引き、物売りを見かける一般的な繁華街へ到着した。しかし僕は疲れもあり学生たちとレストランへ行かず、屋台で軽くフォーを食べホテルへ帰ることにした。

その帰り道、ふとあたりを見渡すとそこには西洋の黄色いコロニアル建築が立ち並び、ベトナムの自然と若者の活気が街を彩り、まるで深夜特急の香港を彷彿(ほうふつ)する場所だ。

やっとここまできたんだ、あと少しでいける。と思う自分。ここまできて失敗したら情けない、と思う自分。期待と不安の精神状態はピークを迎えていた。

つづく。

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